
こんにちは、文です。
この世の中には、多種多様で実に様々な人がいます。
その中には、要領よくひょうひょうと生きられる人もいれば、
不器用で苦しんで生きた人もいます。
なぜ神は、このようにバリエーションに富んだ人々を作ったのでしょうか?
そして、そんな世の中をどう生きればよいのでしょうか?
神の視点
生存競争ゲーム
前提として、私達すべての生物は
強制参加の
「生存競争ゲーム」に参加しています。
なるべく多くの個体を生き残らせるために、
あなたならどんなパーティーを組むでしょうか。
きっと「守備」「攻撃」「ヒーラー」「預言者」など
困難に対して共倒れにならないよう、
様々な役割をおいて、偏らないよう配慮するはずです。
個性は神様の気まぐれ
神様も同じ様に考えました。
(ここでいう神様は宗教的な意味合いではなく
天地創造の源、と言った意味合いです)
地球で、人類の生き残りを任された神様は
ちょうど私達のように
多種多様な人がいたほうが生き延びる確率が上がるだろう!と考え
コピーミスをする「余地」を与えたのです。
以下の動画は、
「前の線をなぞって」という簡単なミッションに対し
なんども「コピーミス」をし、
最終的には全く別の形ができる様を表しています。
これこそ「余地」のなせる技です。
「コピーミスをする余地を与え、
そのミスのおかげで環境に最適化したら「進化」とし、
うまくいかず死んでしまったら次回の反省に活かそう」
神様はこのように考えたのだと思います。
そして、我々のような個性を持った人は
「コピーの「余地」を多めに与えられて生まれた人間」
だと考えています。
失敗したら残念、でも成功したらそのまま次につないでね、と。
ある意味神様に試された存在なわけです。
かつては確かに、物凄く生きづらかったと思います。
生きづらい先輩方は「インディゴチルドレン」という言葉を生み出しました。
1970年代以降に生まれた、「好奇心旺盛で変わっている」などの特徴を持ち、
ときには超能力的な力を持つ人のこと
これはMBTIでいう「N型」の特徴をそのまま反映しています。
その他にも、最近だと
「HSP」
や
「エンパス」
「繊細さん」
などの言葉が主流になってきました。
ちなみに、余談ですが
「インディゴチルドレン」という言葉が廃り
「繊細さん」や「HSP」などの言葉が流行ったのは
過去は、
個性が許されなかった事自体の苦しみに名前をつけたがったのに比べ
今は、
個性が許されていて、その上でどういう個性なのかを説明するために
名前をつけたがっているから、と考えています。
個性が許されるようになったこの時代は、
幾分か生きやすくなったのでしょう。
INFJとHSPとエンパスとマルチポテンシャライトとインディゴチルドレンとスターシードとエニアグラムタイプ4とINFPの関係性
しかし、まだまだつらいマイノリティな私たち。
神様はコピーミスを失敗したのか?と嘆きたくなる気持ちはわかります。
あまりに普通と別の世界を見てしまっていて
合わせるのに精一杯で上手に生きられないのも知っています。
しかし、変人の役割が不要なら
とくの昔に淘汰されているはず。
遺伝してここまでやってきたからには、
どんなに苦しくても必ず役割があるのです。
さて。
とくに令和に入ってから
変人が認められ、輝ける世界がやってきました。
あなたはどんな生き方をしますか?