
日本人は、何かと基準を他人に合わせがちだ。
例えば、バラエティー番組ではワイプが用意されていて、「つられて笑う」を誘導している。
他の人と一緒の行動をとらないと、不安になってしまうのだ。
では、その極端な同調圧力はいったいどこから生まれているのか。
原因1 「セロトニン」不足
元々、遺伝子からして同調圧力の土台は完成されている。
日本人は「セロトニン」が少ない。
「セロトニン」というのは、安心をつかさどる細胞だ。
要するに他の国と比べて不安がちな人が多いということだ。
だから、何をするにも「自分は間違っているかもしれない」と不安に思ってしまう。
英語の知識はあるのに話せなかったり、
わかっているのに手を挙げられなかったリ、
見られ方を異常に気にして、身動きが取れなくなってきているのだ
原因2 「信じるもの」のなさ
日本には「信じられるもの」が少ない。
外国だと、例えば宗教がある。
キリスト教、イスラム教。
人口こそ減ったが、まだまだメジャーな「信じるべきもの」がたくさんある
筆者は実は中国出身だが、中国には宗教の影こそうすけれど「家族愛」という確実に信じられるものがあった。
さて、日本はどうだろうか。
宗教、あまりなじみのない方がほとんどではないか。
家族愛、形骸化されてきている
でも人は何かを信じたい生き物なのである。
何かを信じたいのに「信じるべき」がほかになにもないから、
「人間関係」を他国以上に信じてしまっている。
原因3 「学校教育」による習慣
われわれ日本人は、学校では〇✖で能力を図られていた。
それが我々を奴隷化させている。
コロナ渦の今だってそうだ。
わざわざ「命令」ではなく「自粛」で動いてくれるような国民だ。
こんなに都合の良い教育を変えたくない政府だが、肝心の我々は、奴隷化教育が当たり前になりすぎて文句の一つも言わない。
そうした根強い奴隷精神が、私たちをより受動的にし、同調圧力ありきの人生へと誘導している。
臆病者に残された宗教
宗教がなくても、家族愛がなくても、正解が分からなくても、私たちは大事にしているものがある。
それが「人間関係」だ。
たった一つの安心でいるもので、
たった一つの家族らしき愛で、
たった一つの「正解」
これが「人間関係」
同調圧力がどれだけ苦しくてもいい、どれだけ辛くてもいい、
何かを信じていたい。
なぜなら、セロトニンが少なく不安がちだから。
なぜなら、信じられる宗教や愛がほかにないから。
なぜなら、学校教育で昔からそうしてきたから。
これが「同調圧力で生きる」日本人の仕組みだ。
別に「みんなと一緒」じゃないと死んでしまう、なんてことはない。
けど、どうしてもこわいと思ってしまう。
「働かないと給料がなくなる…」
「ハブられると生きていけない…」
そんなわけない。
けど、ずっとそうしてきたから、
同調圧力が私を形作ってきたから、今日も同調圧力に生きるしかない。
今日、同調圧力を脱せば、明日は自由に生きられるかもしれないのに。