ピノキオピー『ノンブレス・オブリージュ』個人的解釈・考察

※この解釈は個人による見解です。「他にもこういう見方できるよ」というコメント歓迎!

つい先日出ました、ピノキオピーの新曲、『ノンブレス・オブリージュ』

今回もラヴィットに引き続きえいりな刃物さんとのコラボでした!

前回はうさぎがテーマだったのに対し、今回は羊が全面的に押し出されていました。

うさぎも羊もどことなく「か弱い」代表な感じがしますね。

ピノキオピーさんもえいりさんも、か弱さを表現する天才なのでしょうか。

(ピノキオピーさんが生放送で「えいりさん」とよんでいたので私も真似します。)

 

そしてふと「あれ、普通MVってちゃんと人間描かない…?」なんて少し思いましたが、

「人間なんて大嫌いだ」(by「動物のすべて」)なのもなにか関係があるのでしょう。

 

か弱さへの広義の「愛」は、MVもさることながら歌詞も音も本当にすごく、

MVや歌詞それぞれの解釈が無数にあり、

組み合わせも無数なのでとんでもなく情報が圧縮された高密度な4分弱でした。

 

現代文が異様に出来た私にとって、

これほどまで解釈のしがいがある歌詞はなかなかありません!

それほどまでに洗練され、密度の高い歌詞だということですね。

 

さっそく、順に解説していきます。

「ノンブレス・オブリージュ」とは?

この曲を味わうにあたり、絶対に外せないポイントがあります。

題名にもなっている「ノンブレス」(「ついでにオブリージュも」)の意味です。

 

わざわざカモフラージュで彩られたオシャレさを剝ぎ取る自分は本当にどうかと思うけど

この素晴らしさが伝えきれてないとしたら悔しいので

あえて出過ぎた真似をします。

 

「ノンブレス」には

「高貴(noblesse)」「無(non)呼吸(breath)」の2つの意味があり

「オブリージュ」には

義務(oblige)」の意味があります。

 

なので、「ノンブレスオブリージュ」とは

すなわち、①高貴さ②無呼吸」の「義務について語っているわけです。

 

そして、この「高貴さ」と「呼吸」について順に解説していきます。

 

高貴さ」という言葉はいうまでもなく「言葉」の一種類ですよね。

「言葉」というのは、これまた言うまでもなく人間が作ったものです。

ところで、私達が普段使っている言葉って、どうやって生まれましたか?

(考えたことなかった!って方も多いかもですね)

 

木のみを割ったら「テッテレー♪新しい言葉が生まれました」。

そんなわけないですよね。

 

誰かが勝手に物事を定義して、多数決かノリかわからないけど勝手に定着していったものが言葉です。

 

のちに「歴史という名の内輪ノリ」と言った歌詞がでて来ますが、

言葉だって所詮人間という一種類の動物の内輪ノリでできたものですよ、ということです。

「高貴さとは(笑)」のように(主人公側からは)やや軽く見積もったニュアンスも含まれつつ、

自分以外は高貴さを内輪ノリだと知らず盲信するのを見ている重い恐ろしさも含まれていると思います。

ちなみに言葉についてはこちらでより詳しく説明しています。

 

②呼吸ですが

最近大流行した鬼滅の刃の有名なセリフ

「全集中の呼吸…!」が

「全集中の精神…!」に置き換えてもほぼ同義になるように

「呼吸」それすなわち「精神、魂、生」なのです。

以下は他サイトからの抜粋ですが

生(い)きるの語源は「息(いき)る」であると言われています。命は、産声を上げて誕生し、息を引き取り死を迎えます。生と死は息と共にある。つまり呼吸は生命活動と密接に関わっており、むしろ生命活動そのものであるとも言えるわけです。

の通り、息とはすなわち「生き」

 

よって、

「ノンブレス」=「無呼吸」はそれほど危機的であるということです。

 

(実際、歌詞の中でも死をもあらわしている場面がいくつかあります。詳しくは後述します)

 

そして、これは自分でも気づいたとき鳥肌が立ったのですが…

この曲が作られたのって、どんな時期でしょうか。

そう、息がしづらい時期です。

 

家を出てから帰宅までずっと息をさせづらくしているその正体は

顔を覆っている布は

そう、マスク

 

え、どうしてここに来てマスクの話??

と思われた方もいるかも知れません。

 

というのも、

マスクが、人間のノンブレス(高貴さかつ無呼吸)を強制する道具の最たる例であると私には思えたからです。

 

だって、ぶっちゃけマスクほぼ意味ないもん。笑

 

特に三密禁止が守られてる状況下、例えば十分にスペースのある野外でも一向にマスクを外さないのは

「私もつけるからあなたもつけてね」な理性を強制しているようにしか、私の目からは見えません。

ウイルスなど関係なくて、それはもう人間による人間どうしの事情、高貴さの義務そのものなのです。

 

もっとも、ピノキオピーさんには「ノンブレス」にこの意味を込めたつもりはないかもしれませんが。

(あったとしても影響力が強いので「マスクは意味ない」なんて口が裂けても言えないと思いますが←ココ重要。笑)

もしかしたらタイムリーに世の中を風刺しているのかもしれません。

MVから考察

と、前置きが長くなったところで。

 

まずは初見MVのイメージから直感的に内容を考察していきます。

なんだか気になるところがところどころ出てくるんですよね。

 

せっかくなので、

  • 「きっとこれみんな気づいてないんじゃない?」
  • 「生放送であまり触れられなかったんじゃない?」

てとこを2点、攻めていこうと思います。

 

私が気になったのは、

  • 狼が羊を傷つけるより、羊どうしで傷つけ合ってない?というのと、
  • 曲中ずっと都会だが最後だけ自然だなあということです。

羊同士の争い

狼が羊に悪いことをしてそうなのは(私の見た限るでは)ワンシーンくらいで、

狼があまり羊を殺してないというよりかは、むしろ羊がたかって狼を殺しに行ってるような…。

 

羊たちが群で鼓舞したり殺しあったり、「コンプレックスを武器に」「逆恨み」の歌詞にもある通り、

それこそ弱さを高貴とする節があり

何かルサンチマン(強者に対し仕返しを欲して鬱結(うっけつ)の悲劇にも通じるところを感じました

 

そして、なんとなく、「あ、これ、日本っぽい」って。

 

「清貧」であったり「我慢は美徳」であったり。

特に、今だとコロナ中の自粛警察がやたら多いのもこの国の特徴なのではないでしょうか。

「弱者同士、死なば諸共」な空気感。

この鬱屈したパワーを政府などの強者(=狼)にきちんと向ければいいのに、

自粛の命令に従わねばならない、同類の弱者(=羊)に向ける。

(政府に対してぐ愚痴を言う人は多いですが、

欧米のように実際にデモを起こすことは少ないですよね)

 

これはもう、いろんなパラダイム(世界観)で見ることができて、

政府が強者(狼)で、日本が弱者(羊)でも、

欧米が強者(狼)で、日本が弱者(羊)(実際に日本の教育は米国の洗脳下だと言われている)

もしくは

自然が強者(狼)で、人間が弱者(羊)

でもよさそう。

 

どちらにしても、本当に怖いのは「怖い対象」ではなく、

「怖い対象を怖がってる我ら」なニュアンスなのでしょう。

自然への回帰

最後のところまで、割と都会的だったんですよ。

スマホはあるし、何よりビルが立ち並ぶ街が一瞬映る時がある。

でも、最後だけ明らかに森の中でした。

 

呼吸=精神的な=Spiritual(英語訳)=スピリチュアルには自然のイメージがありませんか?

やっぱり、「それぞれの好き」に嘘を付きたくないのなら

ノンブレス(=無呼吸・ノンスピリチュアル)で生きていたくないのなら、

自然回帰しかないのか〜と腑に落ちたシーンでした。

 

というのも、人間が理性を持って都会を築きあげそれぞれの「好き」を優先させれば

好きなことだけでいいです』の歌詞中であった通り「宇宙が爆発する」のだから。

 

都会ではマスクが必要だけど、森ならいらないしね。

動物たちもつけてないから同調圧力もないもんね。

 

そうだ、京都、いこう

って京都は森じゃなかったね。

 

ところでこの感覚、HSPの方ならすごくわかるんじゃないかな?と思います。

【HSP本人が】HSPの苦しみと存在理由について【徹底解説】

はい、ここまでで大事な部分の解釈は終わりました!

最後に、歌詞を細かく見ていこうと思います〜。

歌詞解説

世界中のすべての人間に好かれるなんて気持ち悪いよ 

だけど一つになれない教室で君と二人 手を繋いでいたいの 

「世界中のすべての人間にすかれる」高貴さ・無呼吸(精神的な死)=ノンブレス

手をつないでいたい」という個人の自由、生き生き(息々)=ブレス

の葛藤

ノンブレスを強いられる風潮の中、「僕はブレスしていたい」さま。

数の暴力に白旗をあげて 悪感情を殺してハイチーズ   オートクチュール(オーダーメイド)で作る 殺しのライセンス(権利) 分断を生んじゃった椅子取りゲーム 無痛分娩で授かるベイブ(赤ちゃん)

人間の同調性、思考停止、自然な魂(や肉体(の痛み))の消滅

生きたいが死ねと言われ 死にたいが生きろと言われ  生きたいが死ねと言われ 死にたいが生きろと言われ

幸せ自慢はダメ? 不幸嘆いてもダメ?

図々しい言葉を避け 明るい未来のため

歌詞をそのまま解釈もできるが、

(精神的に)生きたい(=ブレスしていたい)と言えば、

(精神的に)死ね(=ノンブレスオブリージュ)と言われ

((精神的に死ぬくらいなら)物理的に)死にたいと言えば、

(物理的には)生きろと言われ

(物理的に生きるくらいなら(精神的に))生きたい(=ブレスしていたい)と言えば

の【精神と物理で話が噛み合ってない】無限ループみを感じます。

 

実際に精神的な部分で話をする人と、物理的な部分で話をする人がいて、

前者は「倫理的」、後者は「論理的」と一般的には言われているけど

実際にどちらもこの世に存在して、両者がいくら対話しても決して交わらないのを思い出します。

さんはい 「この世には息もできない人が沢山いるんですよ」

さんはい 「この世には息もできない人が沢山いるんですよ」

先程「ノンブレスが物理的な死をも表す」と言いましたが、

まさにこの場合の「息もできない」は、ほぼイコール死の意味ですね。

よくある「生きたくても生きれなかった人がたくさんいるんですよ」の言葉でしょう。

大人しく犬になるんだワン

犬=動物、それも従順な動物

冒頭の歌詞と相まって、「(さらに)人間の同調性、思考停止、自然な魂(や肉体(の痛み))の消滅」を強化させろ、の意味。

「ノブレスオブリージュ」(高貴さの義務)そのものです。

息が詰まる

=生きが詰まる

正当防衛と言ってチェーンソーを振り回す まともな人たちが怖いよ

共感 羨望 嫉妬 逆恨み 黒い涙がこぼれ落ち 醜い感情が吹き出し 真っ白い鳥になるんだな

これぞまさにルサンチマン。

愛燦燦 春爛漫 日々だんだん大事なものが消えていくよ

「都会=それぞれの自由をノブレスオブリージュ(高貴さの義務・精神的死)によって守る場所」

にない、自然による自然な感情(=大事なもの)がなくなっていく様子です。

  深海魚と泳ぐ氷点下 見上げている ザラメの星 ぼくらは 直接 直接 直接 直接 手を下さないまま 想像力を奪う液晶越しに 息の根を止めて安心する

素晴らしい想像力(呼吸、スピリット)を

弱者のある種のoblige(オブリージュ、義務)によって殺す様。

それぞれの好きを守るため 君と防空壕で呼吸する

こうして、

自分の呼吸=スピリット=自然な精神を、自然の中、自然に、取り戻しました。

【本当の君を】保存版*幸せになる方法【取り戻せ】

おわりに

さて、いかがだったでしょうか。

正直、全然書ききれてません。

でもすごく強くわかってほしいことだけは、ちゃんと伝わったんじゃないかと思います。

 

感想コメントお待ちしてます🌟

 

では、最後までお読み頂き

ありがとうございました。

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