こんにちは、文です。

 

今回はわたしたち「人間」という生き物についてお話していこうと思います。

 

「本当のことを知りたい」誰もが一度は思ったことがあるのではないでしょうか。

でもそれは、一生知ることができません。

それが人間の生存戦略であることをお伝えしていけたらと思います。

 

この議題を深く理解するために

まずこちらの記事を見ていただくことをおすすめします。

「真実は理解できない」という真実【矛盾だらけのこの世界】

こんな人に向けて
・何を信じたらいいのかわからない
・世界について正しく知りたい

・なぜ人間が生まれたかについて知りたい

人間は賢い生き物?

さていきなりですが、この問題を解いてみてください。

プレーヤーの前に閉じた3つのドアがあって、

1つのドアの後ろには景品の新車が、

2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。

 

プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。

プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。

ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。

 

ここでプレーヤーはドアを変更すべきだろうか?

door

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「ドアを変更」するか、しないか。

…答えは決まりましたか?

 

では正解を発表します。

 

正解は、

「ドアを変更する」です。

 

正しく答えられましたか?

一部の方以外は、間違えてしまったんじゃないかと思います。

 

こんな簡単な問題、人工知能だったら一瞬で解けていたでしょう。

では人間はそれほど賢くないのか?

いいえ、間違えてしまったからこそ「賢い」と言えるのです。

認知バイアス

恒常性バイアスと生存戦略

間違えてしまった要因の一つに、

「恒常性バイアス」というものの影響があります。

 

恒常性バイアスは、「認知バイアス」の一種で

「一度決めたものを変えたくない」というバイアス(心理の傾り)のことです。

 

例えば、寝るときは「もう少し起きていたい」と夜更かしをしてしまうのに、

起きるときは「もう少し寝ていたい」とギリギリまで寝ようとしてしまったことはありませんか?

 

それも「恒常性バイアス」の影響です。

人間は無意識に、現状維持の方向を歩んでしまいます。

 

認知バイアスは、この他にも

「損失回避バイアス」=得をするよりも損を避けようとするバイアス

「ハロー効果」=目立ちやすい特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められるバイアス

など、

数え切れないほどたくさんのものがあります。

 

さて、私達の認知を歪めてしまっているこのバイアスですが、

もしこのバイアスが正常に機能しなかったらどうなるでしょう?

 

例えば、恒常性バイアスが人間に備わっていないとしましょう。

人間が、変化することのリスクを、全く恐れないとしたら。

 

人間は行ったことのない草むらで、食べたことのない草を食べ、

対峙したことのない天敵に会い、挨拶をしたところで殺されてるでしょう。

 

これは一例ですが、

きっと大量に命を落とし、繁殖が困難になることは想像に難くないです。

 

人間は生存と繁殖を一番の目的としているので、これは大きな欠陥です。

どうにかしなくてはなりません。

 

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(ちなみに、全体的にバイアスの弱い人達(サイコパスなどが例です)もいて、

そういった人たちはバイアスや感情に飲まれることなく判断ができるという強みがあります。

 

サイコパスというとネガティブな印象が強いですが、

どう考えても人道的でないフォアグラとか、とても食べられるような見た目じゃないウニとか

そういったものを発見してくれたのもきっとサイコパスです。)

確証バイアス-なぜ人は正解を知りたがるか

このように、

繁殖が人間の最終目標だとしたら、少しくらい認知が偏っていても、

命を落とすよりはよほど合理的です。

 

したがって、「繁殖」の合理性からすると人間の理性における「正解」の合理性はよほど重要度が低いのです。

 

だから、私たちは正解にたどり着くことは絶対にないけれど

しかし、人間が遺伝子や常識の影響を受けており、それらをもって正解できないことこそが

生物的に「正解」になりえます。

 

それでも、まだ「正しく世界を見れる」ことを信じていたい。

それもまた人間のシステムです。

 

この願望は、

認知バイアスの中の「確証バイアス」というバイアスの影響を受けています。

「自分がすでに持っている先入観や仮説を肯定するため、自分にとって都合のよい情報ばかりを集める心理の偏りのことです。」

 

「正解はある」と信じ込む心理の偏り。

「正しいものはこれだ」と信じ込む心理の偏り。

 

この偏りは私達を性懲りもなく真実へと向かわせますが、

これがないとそれはそれですごく不便なのです。

 

例えば、「正しいと信じる」この心がなければ、

常識も自分の心も何もかも疑ってしまって、何も行動できなくなってしまうのがオチです。

歪んだ世界を歪まずに見たい

その思考そのものが歪んでいて、だからこそ今、安全に生きていられる面があります。

驚きの生存戦略で生き延びた人間

というわけで、私たちが何か「正しく」やろうとしても、

どうしても前提として「正しくあれない」のが人間だ、ということになります。

 

そして、「正しくないことを正しいと仮定する」

この大リスクを背負った進化の仕方をしたのも人間です。

 

孔雀が綺麗な羽をつくるように

オウムが擬声を発達させたように

人間は知能を発達させました。

 

試行錯誤の末、生物として生存と繁殖の観点を捨てさえしなければ、の条件で

「正解でないものを正解としていいよ」と許可を得たのです。

 

最初は認知バイアスも、感情も、思考方法も、何もかもが今とは違ったことでしょう。

(実際漢文などを読むと10秒に一回のペースで人が死んでいて、

明らかに今の道徳観とは異なります。)

 

それが洗練に洗練を重ねて今のような形態となり、

今日の私達に引き継がれているのですから、

これほど尊いものはないでしょう。

 

 

さて、

正解を知れないことが最適解となると、

人間の生まれた意味まで疑ってしまうことにも繋がります。

 

正解のない世界で、私たちはただ虚無に包まれて日々を過ごすだけなのでしょうか。

他にもっと、幸せな方法はないのでしょうか。

 

「生きることに意味がないなら、逆に何してもいいじゃん!」というポジティブな主張を

「積極的虚無主義」といいます。

 

以下はそちらについて解説した記事なので、

良ければご覧くださいね。

生きる意味はない?【積極的虚無主義について】