なぜ日本の就活は狂っているのか?

コピペすればうかるエントリーシート。

替え玉受験が当たり前のSPI。

インターンのときにはすでに、全員同じ、黒髪黒スーツの行列が出来ている。

視野を広く持とうとすればするほど、この日本の就活は狂っていると感じざるをえない。

優秀な人がこんなにも多いここ日本で、なんなんだ、このルールは。

どこから間違った?どう間違った?

この記事の要約

・日本の就活は狂っている

・就活だけではなく、日本には不要なルールが多い

・だから就活という「宗教」も、

・内心無意味だと思いつつも受け入れられてしまっている

日本に蔓延る狂ったルール

※この記事は就活=悪だとするものではない。むしろ、就活を推奨するものであるため、慎重に最後まで読み進めてほしい。

学生が苦しむとわかっている。

会社も悪だとわかっている。

それでも未だに廃止されない新卒一括採用。

今はまだ、数十年前に比べると格段に緩くなってる。

とはいえ、それでもまだ一度レールを外すと戻るのが困難なのが現状だ。

 

日本は生きづらい国だといわれている。

ルールにがんじがらめで、情を忘れ、まるでロボットのようだ、と海外の人に揶揄される。

 

一方で、日本は生きやすい国だともいわれている。

どこに行っても清潔、ごみの一つも落ちていないし、民度が高いと。

どうしてこの2つの異なる評価をもらうのか。

おもちゃ, 兵士, プラスチック, アクション, 戦争, 緑, ガード, 小

いや、何も異ならないんだ。

それどころか本質的には全く同じのことを指している。

日本独自の洗脳教育による

この一言で片付く。

日本人の人間関係「教」

人間は信じている状態が最も気持ちいい。

人間は信じることでここまで発達してきた。

「宗教」のように。我々は常に何かを信じていて、

それによって無意識に歪んだ物の見方をしている。

証拠を挙げよう。

同じ2つの棒だけれど、下の方が長く感じないだろうか?

これは目限定の「信仰」だけど、これと同じことが認知にも起こってる。

例えば。

人間の本能的な認知の癖の一例として、恒常性バイアスというものがある。

新しくイチから自分で何かを成し遂げるのは、

脳がめちゃくちゃエネルギーを使う。

しかも、下手に変えたりすると危険が伴うから、

だったら変えないでおこうという生存本能。

これは、損をする方が、得のチャンスを逃すより恐怖を感じるという「損失回避の法則」にもつながる。

人間は、誰しも「得をすること」よりも「損をしないこと」を選ぶ、といった認知の偏りを持つ、という法則だ。

 

例えば、次の選択肢がある。

1,五分五分の確率で、財布に勝手に1000円入ってくる、もしくは財布から500円がなくなる

2,現状維持

確率は同じだとして、どちらを選ぶだろうか。

おそらく、後者だろう。

損失度(お得度)は実際大差ないのに、人間特有の認知のバイアスは、「損」を異常に嫌なものだと感じさせてしまう。

これは決してあなたの脳が非合理なわけではなく、人類全体を統計的に見た結論だ。

こういった仕組みは、人間がなぜここまで繁殖できたか、の理由にもなる。

『サピエンス全史』にもある通り、人間は何かを信じることで生き延びてきた。

薄っぺらい紙を何でも価値交換できるもの=金だと見立てたり、

動く絵=アニメーションのキャラクターを、本当に実在するかのように愛おしく思ったり。

そうやって、無意識のうちに共同体意識を紡ぎ、人類全体で強固に繋がれて生き延びてきた。

 

そのバイアスが、とくにこの島国日本、とても強い。

なぜか。

それは以下に、遺伝的要因と社会的要因の2項目によって説明される。

判断を狂わせる遺伝的要因

日本人は、「セロトニン不足」だと言われている。

科学的に指摘されており、信ぴょう性があるものだ。

セロトニンは安心感を促すもので、したがってセロトニンが不足すると不安感が強くなる。

日本人は潜在的に全員が不安恐怖症

そうことになる。

不安はなおさら、信仰を求める。

不安症が強くて宗教にはまったり占いに

とりあえずお金をつぎ込む女優さんとかを思い起こしていただければわかりやすいと思う。

どんどん、信じていないと不安になっていく。

判断を狂わせる社会的要因

日本には、宗教がない。

宗教という、最も強固な信仰がない。

宗教があれば、政府の道とは別に、宗教の道を歩むことができる。

政府に何を言われても「いや私の宗教ではこうなんで」ですむ。

健全ならば、宗教と政府(や家族・友人等)の割合を「自分なり」に配合して、「自分の道」を信じる。

しかし、日本は宗教がないため必然的に政府の信仰一辺倒になる。

(学校も文部科学省=政府のもとにあるため政府の一部とする)

暗黙の了解

特に、小さい頃は自分の趣味や友人の好みも曖昧な状態で、非常に脆い中で学校を信仰せざるを得ないため、

無意識のうちにこれを学習する。

この「暗黙の了解」は、海外に出ると全く通用しないものばかりで、閉鎖的な社会でしか通用しない。

しかし、これを学習しないと社会で生きていけないため、しっかりと、きっちりとインストールせざるを得ないのだ。

 

(ちなみに、日本がアニメや漫画等のカルチャーに優れているのも、

日本人独特の信仰欲求が生み出したものなのではないかと考える。

キャラクターや物語に対する強固な愛(「本物なのだ」という信仰)がないと、

一コマを少しずつ動かすような緻密な作業が出来るだろうか?)

日本と海外の就活の違い

・・・欧米で政府の洗脳が流行らず、日本で流行る理由がわかっただろうか?

まあ、自分の中で宗教を生み出せる人もいる。

「私は私よ」と。

ただ、そういう人は残念なことにどうしても数が少なく、やっぱり政府教を信じたい人が多数派になる。

戦争の理由を考えてみよう。

その大体は宗教(信仰)か土地(権力)だ。

特に「土地」という概念があやふやだったときには、それはそれは宗教による戦争が多発していた。

信じているものがちょっと違うだけで、どうしてそんなに人が死ぬことがあろうか?

と、世界史を勉強していた時によく思った。

それほどまでに、自分の信じているものを多数派にしたいものだ。

ちょっとでもそれを脅かす者がいれば、即排除したいのだ。

このことを考えれば、少数派がいじめられるのは至極当然といっていい。

 

この、政府一辺倒になりやすい状況を知ってか知らずか、

日本は小さいころから独自のルールの上を歩かせる仕組みが徹底している。

その強固さたるや、もはや「洗脳」といっても差し支えないだろう。

「得」と「損」のレールを、これでもかというほど明確に敷いた。

(もちろん、別の要因によって似たようなレールが敷かれている国も多いが、

日本のような「(歪んだような)優しさ」によるものではない。)

 

良くも悪くも、ある程度(ていうかすべて?)道が決まっている。

いい大学、いい就職先、結婚、出産。

「レールに乗った人生」が、最適だというのはもうもはや常識と言葉に出すよりも強く潜在意識に刷り込まれている。

実際に「いい大学、いい就職先、結婚、出産」は「普通」じゃない。

そこそこに難易度は高く、実際に数字を数えれば恐らくかなり稀少な部類なのだろう。

ただ、洗脳されている以上、いつまでも「それが普通」と認識する。

 

(↓詳しくは、こちらの動画で、よさまつさんによってとってもわかりやすく説明されている↓)

 

だから、みんな必死に地位を守る。

今脱線してしまえば、今まで必死に守ってきた「政府が敷いてくれた得レール」から外れてしまう。

 

自由がない代わりに、責任もない。

黒髪黒スーツ指定があれば、学生は服装を決めないから、服装において責任がない。

どんな馬鹿でも、むしろちょっとおバカ(意思決定に疑問すら持たない)ほどうかりやすかったりする。

言われたとおりにやれば得だということを、この国ではだれでも知っている。

 

日本は、一度物事が決定したら動きづらい仕組みだ。

この仕組が、洗脳を潜在的に刷り込むことを優位にしている

一度信じたことがころころ変わるのは、人間は許せないことなので、当然信仰への信憑性も弱まってしまう。

だから、レールの一貫性を持たせるために、「失敗」者はあえて這い上がれないような仕組みをあえて国全体をあげて作っている。

そしてそれがさらなる恐怖心を煽り、失敗を過剰に恐れ、レールに乗らなきゃ、といった洗脳を強固なものにしている。

就活というクソ文化

日本は、ずっとずっと新卒一括採用を保ってきた。

時期も、方法も、質問事項ですらもこちらが決定する必要なく、あらかじめ定められているテンプレートに則る。

いくら「個」の道の必要性が叫ばれていようが、海外式に、それぞれが各自インターン→相互気に入れば社員、の流れは取らない。

時期、方法、内容、少しでも「個人の意志」をそこにはさめば、「個人の道」ができてしまう。

日本人が勤勉なのは、せっかく刷り込んだ洗脳のおかげ(せい)にほかならないから。

個性を建前では求めていようが、実際に私服で面接に行けば当然のごとく落とすのが「暗黙のルールだ」

 

そして、新卒にせよ、転職にせよ、入社する際にほぼ必ず必要な工程、面接。

 

しかし、日本の面接は特殊だ。

海外の会社が重視するのはスキルだけだが、第二新卒くらいまで、わざわざ人間性まで深く知ろうとする。

そして、祈りながら落とす。

スキル以外で差がつくはずがないのに。

人間性を否定された気がして、深く傷つく。

転職の際はさすがにスキル重視になるが、それでも新卒時に決めた会社と同じような業種あるいは職種でないと確実に不利になる。

新卒時に面接した時、果たしてその会社でやる業務を実践レベルまで理解してから入ったか?

 

受験勉強が下手で人生積むことはないのに、自己アピールが下手だとほとんど確実に人生積む。

 

第一、言葉で説明することのメリットはなんだ?

ライブ性があることだ。

でも面接では準備してくることを要求される。

いや、だったらもうそれ紙に書かせればよくない?

リアルタイムでやる意味よ。

などといちいち自我を出してしまうことを、許されない空気感があそこにはある。

就活と狂っている日本

狂った世界に救われる日本人

色々な世界を見ようと努力するから気づいてしまう。

独特の空気に、洗脳されてきた事実に。

しかし、それと同時に、気づいたってしょうがないのも気づく。

なんせ賢いからさぁ

そこも同時に気づいちゃう。

日本のこの独特な清潔感を保つためには、就職活動はするしかないんだ。

日本という概念に感じる、類まれなる従順さ。

それを個性として残すために、このあほらしい就活は絶対に必要だ。

だって、日本は狂ってる、さんざん洗脳だって喚いたは良いけど、

じゃあ、自分の軸はあるの?なんて聞かれたって、今更あるはずがない。

あったらとっくに外れてる。クソつまらない勉強なんてしていない。

それに、レールを外れろ、といえば今まで必死にレールに乗ってきた人を馬鹿にするようで心苦しい。

先にも述べたとおり、人は信仰を求める。

誰もが信仰を自分の中で生み出せるわけじゃないので、ある程度定まってたほうが楽なこともあるのだ。

レールで救われてる人も大勢いる。

混沌とした世界で指標があって救われた、かつての私もそうだった。

この仕組を破壊したいわけじゃないんだ。

 

自由と責任は表裏一体

自由が多い代わりに全てが自己責任のアメリカのような国があれば、

自由が少ない代わりに連帯責任の日本のような国があっても良い。

誰もが私のように自由でいたいわけではないし、

自由がほしければ私がアメリカに行くべきなのだ。

社会を変えるより、自分の場所を変えるほうが楽だろう?

そうだ、アメリカへ行こう。

…と思いついて行けるほど、タフな精神力もない。

 

たしかに、私は苦しかった。

でも、誰もがレールに乗って苦しさを感じるわけじゃない。

私だけ、このレールに対して異様に嫌悪感を覚えたように思う。

今はネット上で同じ人と繋がれるが、当時は相当孤独だった。

何度も人生やめようと思った。

この性格を損だと思ったことは何度もあるが、そんなこと思ってもしょうがない。

だからこそ同じ不適合の人にやさしく接すことができるあたり、むしろ得だったと思わないことにはやってられない。

だから、切り離して考える。

幸せとは

私達が、今まで洗脳を受けたのは、道を決めて幸せになるためだ。

小さい頃から良い子ちゃんだったのも、洗脳の軌道に乗っかって褒められることだったはずだ。

褒められること=幸せ、の図式が、今、たとえ崩れたとしても。

ここで洗脳解いちゃうと、苦しいぞ?

洗脳に気づく賢さと、タフな精神力を両立できる人はいい。

自由が良いな、よし、アメリカ行こう、でうまく行けちゃう人。

そういう人が、一握りの成功する起業家になるんだと思う。

でも、

少しでも弱いなって思ったら、今の自分じゃまだだなって思ったら。

今の日本では、この苦行は避けては通れないんだから。

ちょっとの期間だけでも、斜に構えず真っ直ぐ受けろ、と少なくとも過去の自分に言いたい。

自分の弱点を、昇華させる期間だぞ、と。

たとえそれで上手くいかなくても、腐らず残った自分を愛せるのならそれが成功だぞ、と。

何を言おうが、もうまっすぐアタックするしかない。

精神衛生上にも。

斜に構えるのって、長期間になるとめちゃくちゃ疲れちゃうからさ。

 

一時の「自分は特別」に、酔ってる素振りを見せるのは、

どうしてもね、滑稽だからさあ。

洗脳を解いて、自分の道を歩むのは、

会社に入ってからでも遅くはないんだから、

 

と、昔の自分に伝えたかったのでした。