「今、富とか名誉ならばいらないけど翼が欲しい」

大人になるとは残酷なことだ。

小さいころにこの歌詞を聞いたとき、当時INFPの私は純粋な心で「何当たり前のことを」と思った。

が、大人になるにつれて、一生懸命生きれば生きるほど、それらがないと何か不平な気がして。

自分が上昇するとともに周囲のレベルも上がっていき、自分と近しい人が手に入れているそれらについて、羨ましがるのは必然のことだった。

INFPは、完全に、また生涯INFPというわけではない。

大人になるにつれ、世の中のさまざまな事象と融合を繰り返し

MBTIで公式に推奨されているように、本来自分の持っている要素以上のものを手に入れる。

自分の要素以上は、客観から手に入れる。もともと自分の持っている主観と新入りの客観が融合されて大きくなるわけだ。

主観と客観が一致していくにつれ、望むものもまた客観的要素が色濃くなる。

富や名誉は、わかりやすく「幸せ」の代表格である。

人が並んでいるラーメン屋を見ると、その店を知らなくとも「おいしいのかな」と思ってしまうものである。

他に食べたいお店があっても、並んでみたくなってしまうものである。

特に、その道を通るのが一度きりだとしたら、「今知っとかなきゃもったいない」の思いもあるだろう。

「世界」=「君の見る世界」

たしかに、一度きりなのであればそちらを選び、まずければまた本来の道へ戻ればいいだろう。

けど、それが叶わないからって悲観的になるのは違うだろう。

そもそも、難易度の高いことなんだから、本気の人が集まる。

そんなところに首を突っ込まず自分の信じた道を行くほうが、はるかにコスパがいい。

 

他の人の頑丈さが弱者である私から見て容易でないように、合唱曲で感動できるのも実は容易ではない。

大きな成功も、名誉も、すべては心の喜びのためにある。

いばらの道を歩まなくとも喜べるのなら、それは誇っていいことだろう。

君の見る世界=君の周りが創る世界

客観と乖離した主観的な幸せが理解されないのは悔しい。

主観的に幸せだ、と伝えても、理解されないから不安になる。

単なる負け惜しみじゃないのか、と自分でも疑問になったりもする。

弱者である自分を守るための言い訳に過ぎないのではないか、と心配する。

もし悟りを開くために主観に閉じこもっているだけならば、その「成長」は本末転倒だ。

いくら主観的に幸せだとしても、主観と客観はどこまで行っても表裏一体な面がある(客観は主観によって作られ、主観は客観によって作られる)。

ルサンチマン的な、「弱い自分(賢く、繊細な感受性を持つ自分)を認めてくれよ」な状態になってしまえば、

周囲への期待値が上がり、結果的に負のループへ陥る。

(客観にさらされる)主観と(主観を形作る)客観は、同じ方向へ向いているほうがいい。

主観的な幸せの一部が、客観的な幸せと一致する瞬間があれば、

そこがINFPの(というか成熟した全MBTIタイプ型の)幸せなのだろう。

要は、翼を追い求めてもいいけど、翼を得るための資金源はちゃんと確保しておかないと

強がりで心がひねくれるよ、というお話でした。