本能と理性【感情のススメ】

私達はバクバク食べる人を見て

「本能が強い」と表現することがあると思います。

しかし、実は本能に強いも弱いもありません。

そもそも「本能と理性」という概念には、致命的な誤りが含まれています。

理性=ホンノウ+リセイ

私達はしばしば「本能と理性がある」と表現しますが、

実はそれは少し違っています。

というのも、私達が理性と読んでいるものは、

本能と理性が合わさったものなのです。

 

要するに、理性は本能を「包括」している。

だからどんなに本能が強くとも、理性の手綱でコントロールすることが可能なのです。

 

だから、「バクバク食べるひと」は、

本能が強いのではなく、

理性から本能を引いた部分が弱い、ということです。

 

もっと詳しく説明します。

進化していく脳

脳の内側には動物的な脳があり、外側に人間的な脳があります。

両者の違いは経過した年月です。

 

はるか昔、内側に動物的な脳が作られました。

そして紆余曲折を経て、外側に少しずつ人間的な脳を蓄積していった。

 

生命のバトンという意味では、伝言ゲームに似ています。

人間的な脳をつくる過程で淘汰された者も、もちろんいます。

適する脳を持つ者だけが残りました。

脳は人間にも

人間的な脳は、鍛えることができます。

実際鍛えて進化が起きている。

 

しかし、人間的な脳が発達していない人がいるのは事実です。

(別に残念なことではなく、生物というのはこのように進化しています。

時代の経過とともに進化していく以上、そこに微妙なズレが生じるのは仕方のないことです。)

 

「人間的な脳」が鍛えられていない人の特徴を話すとすれば、

 

DVをしてしまう男性や、

メンヘラ傾向のある女性

そして、それらを「男性的だ」「女性的だ」と評価する風潮です。

 

「バクバク食べる人」が「本能の強い人」ではなく

「人間的な脳が未発達」なのと同じで、

「DV男」や「メンヘラ女」は

「人間的な脳が未発達」な「人」のです。

「本能と理性」

では一体何故このような言葉が浸透してるのでしょう?

正解は「わかりやすいから」です。

わかりやすいと生き残りやすいのは、多くの人の「共通言語」になりやすく、

味方されやすいからです。

 

さきほど「進化」の例に伝言ゲームを出しました。

伝言ゲームで、例えば「バッグクロージャー」という単語を出すとしましょう。

食パンの袋を止める「アレ」です。(知ってましたか?笑)

一人目:「バッグクロージャー!」

二人目:(え…?)「バックレ老者ー!」(まあよくわかんないけどいいや…)

三人目:(え…!?)「バックレようやー!」(いや何この伝言w)

 

と、こういう風にして、どんどん形を変えていってしまうのです。

 

これが「食パンー!」とかなら、きっと問題なく伝わったでしょう。笑

 

このように、わかりやすいものは生き残り、わかりづらいものは淘汰されます。

「本能と理性」という言葉が「わかりやすい」から、残ったのです。

シンプルイズザベスト

 

しかし本当は、本能も理性もない。

内側の脳と、外側の脳があるだけです。

そして

人間的な脳を鍛えることで真の幸福を手にれることができる。

私達は心の奥底で、この体験を望んでいます。

感性で生きる

うつ病の人は、「絶対」や「私は、僕は」の言葉を頻繁に使うそうです。

前者は言葉によってグラデーションを絶対化しようとする姿勢、

後者は失われた自分軸を何とかして取り戻そうとする姿勢を表しているように思えます。

理性

ちょうど、画像の「しし座」のように。

白黒に狭めるように。

でも、昔の人は大真面目に語り継ぎ、

だからこそ、何千年の時を経て今でも語り継がれています。

そう、嘘でもなんでもいいんです。

太古昔から、私達は、

「正解」をつくることで、そしてそれを周囲と語り合うことで

疑問と不安から逃れてきたということだけは事実です。