面接をする意義を改めて考えてみた

こんにちは、3度の飯より現実逃避が好き、文です。

や、飯も我々人類の発達した脳からすれば

もはや現実逃避の一種なんですけどね~

そんなことはおいといて。

あまり好き嫌いをしない性格ですが、本当にこれだけは嫌い!!!というものがありまして、

それが「面接」なのです。

もうね

ずっと避けてた。

面接ってシステムも、もはやこのシステムを作った人間も、大嫌い。

運動も芸術も勉強もできるけど、これだけ弱点だね、うん、面接。

いったい何が測れるのだろう?

いったい何を測ろうとしているのだろう?

絶対に考えてない、脳死、ザ惰性

でも、そろそろ面接と和解しないといけないのです。

さすがにお金が底をつきそうなのです。

で、ダイアログリクルーティング(アウトロー採用)に参加して、

なんか今ならできそうな気がする!みたいなパワーもらってきたから

この際に、めちゃくちゃ苦手意識のある面接を克服しちゃいたいと思います。

Q.ダイアログリクルーティング(アウトロー採用)とは?→公式ホームページです。

なぜ面接をする必要があるのか

疑問を持たない人々

「いや。なぜ?って、そりゃ、会社に入れていい人材かどうか評価するためでしょ」

いやいや、それだと無意識のうちに評価が偏っちゃうんです。

そもそも、「人を評価する」って、何をもってどうやって評価するんですか?

どうせ直感なんでしょ、無意識に自分と似た人とか選ぶんでしょ

みたいにうがった見方をしてもしていなくとも。

「どうして他の採用方法じゃダメなんですか?」に、どうせ答えられません。

何のためにやるのか?が不明瞭なんです。

いや、不明瞭というか「面接なんてまったく意味なくね」というのが個人的に現時点でのファイナルアンサーなわけです。

でもね

「私の意見が雑魚なのかもしれない」

だからいろんな人の意見を知ろうと思って

めっちゃ調べたんです。

「面接 やらないといけない理由」

「面接 なぜしなければならない」

全然ヒットしないんですよ…

怖くないですか?

「なんで面接しなきゃいけないんだろう」って誰も思わない世界線

私は怖いです。

いやです。

なぜやるのかわからないままやるの、こわいです。

しいて言うなら、多分こんな面倒くさい疑問を持たない人間を選定するためにこそあるのだと思います。

いや、冗談じゃなく割と本気でそう思ってます。

多分

「面接というクソくだらないシステムを導入している御社に入りたくない!!」

と、心の中で無意識に思ってしまっているのでしょう。

だからうまくいかないんだと思います。

「どうして他の採用方法じゃだめだったの?」

この疑問がスっと腑に落ちれば、きっと「御社に入りたい!」と無意識で思えるのでしょう。

だから、「面接はクソだ」の持論を、自分から論破しにいきたいと思っています。

独学で早稲田に合格した際も、今と全く同じ

「単なる暗記ゲーで何の能力が分かる??」と疑問を感じ

無理くり意味付けをしました。

勉強は確かに暗記ゲーでしたが、コアのものから引っ張ってくっつけていけば

本当に暗記しないといけない事象なんて数十個しかありません。

だからきっと、面接もコツという名の本質をつかめば実にシンプルに合格するんじゃないかと思います。

てか、今検索して気づいたけど

「勉強する意味」はたくさんヒットするんだね。

「面接する意味」が全然検索されないの

本当にどうして?

面接とは?

面接の目的は、書類筆記でのアンケートないしテストでは判断ができない人物像や能力・思想などを、

実際に会って見極める事にある。

by Wikipedia

「そうね」という感想以外出てこないような優等生な回答です。

そして、ウィキペディアさんをもうちょっと下にスクロールすると、とてもいい内容が…

面接試験への批判

市川伸一認知心理学者、教育心理学者)は和田秀樹精神科医)との対談において[2]東京大学理科Ⅲ類の面接試験導入に決して賛成では無い、との自身の考えを明らかにしている。その理由として、「短時間の面接で、そこまで人を見抜くことはできないと思うからです」と言い、「面接対策などは、学校が「面接の心得」くらいのものを渡して一、二度練習するくらいのことで充分だと思っています。」述べている。

それを受けて和田秀樹は面接試験導入時の医学部長の「教えたい人間だけを採りたい」という発言を「薄気味悪いほどの自信」と称しつつ「ああいう人を見ているから余計に面接に不信感を持ってしまうのです」、「われわれ精神科医から見ると、あれだけ人物評定に自信を持っているのを見ると、むしろ選ぶ側がパラノイアなのではないかと心配するわけです。」と酷評している。

和田の発言に対し市川は「社会心理学の内容にもからむ話」と断りつつ、「ほとんどの人は、「自分には人を見る目がある」と思い込んでいる」「ある程度知的な人は、ますますそうでしょう。「ちょっと見れば、どんな人であるか、どんな人になるか、高い確度で推測できる」と。」と述べ面接試験の確度に疑問を呈している。

それらの対談の総括として和田は 「会社の入試面接など」も同様であろうと言いつつ、「現在崩れつつあるとはいえ、終身雇用社会の日本で、不完全な面接の犠牲になってチャンスを摘まれてしまう人がたくさんいるのは残念なことですね。」と述べ、現行の面接重視の採用試験を批判している。

面接の問題点と自己反論

「評価が偏るのでは?」

さて、冒頭で述べた「評価なんて偏るんだ」ってことですが

上記に引用したウィキペディアの文章を読む限り、プロですらも私と同意見なようです。

人を見る目なんて、人間には限界があるんです。

たしかに、人は正しく人を判断できません。

でもそれはもう、世界の全てに通じることだったりします。

人のみならず、すべてを正しく判断できてないのです。

私たちは宇宙の終わりを知らないし、自分の幸せすら掴みきれてない。

自分のこともわからなくて何が他人だよってはなしです。

たとえ面接が「面接官を気持ちよくさせたもの勝ちゲー」と化しても、

通常、社会ってそう動いてる。

と、いうことは。

じっくり認知するよりも、数秒での判断された印象の方が社会では大事ということです。

いちいち正しく認知しようとしてたら何も成し遂げられないし、

何も成し遂げられない会社に入りたいですか?って話になってくるし。

そもそも、ある程度の良し悪しなら本当に数秒でわかる場合が多い。

「強いて言えば一緒にいて心地いかどうかかな〜」くらいの感覚で決められるのが

人を偉そうにジャッジしないためにも必要だったりするのです。

それで仮に間違った人を採用してしまったとしても、じっくり採用に時間を割いても

結局は結果論だし。

「有能さを測れるの?」

評価が偏るにしても、有能さを測る一定の基準は設けないといけないんじゃないか?

と思うけど、

ぶっちゃけ、仕事できるできないに差はないんじゃないかな、と思います。

(その仕事がすごく難しいとかなら別だけど)

「仕事」の大半は雑用だし、雑用の他の仕事なんて、周囲とうまくコミュニケーションが取れるかどうかで殆ど決まるんです。

「仕事」なんて一言で言ったって、刻一刻とその内容は変わってくるし、

内容が変わるって事はそれに必要な能力も変わってくるし、

結局周囲とコミュニケーションをたくさんとって仕事を取ってくる人が一番偉いのです。

「コミュニケーションってことは論理的思考力なんかは必要なんじゃない?」

って思うけど、

実際、この地球に確実な論理なんてないですよ。笑

専門的な話で長くなるから割愛するけど。

ともかく、実はこの世は論理的思考力っぽいなにかでコミュニケーションが動いているって事。

結論、有能かどうかも結果論って話です。

「自分のプレゼンじゃなくていいのでは?」

通常の話ならできるけど、自分のことについて話すことにすごく抵抗を持つ場合もある。

実際、自分について話すことなんて面接以外ない。

でも結局、自分について話させるのが一番効率的なんだ。

他のものについてプレゼンをさせるなら、それ用のものを用意しないといけないし、

わざわざその商品についての知識を完璧にさせないといけない。

しかもいうまでもなく、面接で知りたいのは自社商品の良さなんかではなく、あなた自身なんだ。

なに、恥ずかしいって?

けど、仕事をやっていて恥ずかしい場面なんてたくさんあると思う。

どう考えても他社が優れている中で自社のプレゼンをするとか全然あると思う。

大事なのは、恥ずかしい場面だろうが何だろうが

いかに諦めず、自意識過剰にならず、堂々と相手の要望に応えることができるかなんだと思う。

実際のところ、これだけ自分が恥ずかしい思いをしているのとは裏腹に、相手は何も気づかない。

だってほとんど話を聞いてないもん。

仕事で疲れている中、相手の話なんて(特に初対面じゃ)興味ないもんね。

むしろそんなところばかりにエネルギーを割いている会社、本業ちゃんとやれって話だし。

それに、じっくり話を聞いてあげてもそうでなくても、結局仕事してくれるかは結果論。

だから、自分について話させるのは

・印象を知れる

・コミュニケーション能力(笑)を知れる

・その人について知れる

一石三鳥なわけよ。

効率的でしょ?

「別に志望動機とかないねん」

毎回思うけど、志望動機って聞かれるよね。

会社HPなどの情報をみて、違いとかわからんもん。

だから別に、御社である必要を聞かれても困るねん。

そう、その通りです。

でも、企業にはたくさん言えない事があるのです。

しかも、こちらも判断に時間はかけてられないのです。

自分のレベル感から近そうなところを統計で導き出し、それこそ「何となくの印象」で決めて

適当な理由をつければいいのです。

結局、これも、もうどこまでいっても結果論なのです。

君の直感力の見せ所ぞ???

日本式面接の真の目的

結局、日本は割と女性的な社会で深層心理的には

「あいまい」かつ

「ありのまま」を望んでいるわけです。

(女性性は自然・ありのまま、男性性は人工・勝利を基本的には望みます。)

表面的には「ルールが多くてガッチガチ」に見えたとしても、目に見えない世界では実に柔軟に動いているようです。

(そもそも、あんだけ論理性を重視する割に、面接の正確さを説いた論文を読まないどころか

志望者のエピソードが本当かを確認すらしない、

面接後のパフォーマンスの統計もとらないって意味わかんないからね。笑)

結果を重視しないから、「結果論だから〜」とかって言ってるのです。

 

逆に言えば、彼らは根本的に受け身なので、指導者がうまく話をすれば簡単についてくるんです。

変な話上手い強者が入ってしまうよりは、本音でしっかり入りたい私の方がいいでしょ?

な気持ちで、説得をしてあげればいいわけです。

「自分はどうしたいか」のゴールを決めてしまえば、むしろ易しすぎるのが日本の面接です。

面接に限らず、日本って全てそうですよ。

誰も正解がわからないから、わざわざスピリチュアルのYoutube動画が何本も立つんじゃないですか笑

正解なんてないのだから、面接でも変わらず、自分なりの正義を貫き通せばいいわけです。

(それで落ちた会社は、入社後に正義貫き通せなくて辛くなる会社です。)

まとめ

私は正直、面接が大嫌いです。

この記事を書き終えた直後の今も、面接が大嫌いです。

でも、そんなこと言ったら勉強も大嫌いでした。

あんなの全く意味ないし、今でもなんて無駄なんだ!と思ってます。

でも、未来なりたい姿にうそをつかないのなら、今の自分にうそをつくことは必要。

今の自分にうそをつかないと、理想にはなれないよね。

好きなことをやるために、嫌いなことをやるのです。

嫌いだけど、無双してから言ったのです。

「勉強なんて意味ないよ笑」

嫌いだけど、無双してから言うのです。

「面接なんて意味ないよ笑」

絶対に、その日は来るのです。