ピノキオピー『ラヴィット』個人的解釈・考察

※この解釈は個人による見解です。「他にもこういう見方できるよ」というコメント歓迎!

 

大好きなピノキオピーさんの曲解説をしようと思います。

ピノキオピーさんはよく自分軸vs他人軸の構図の曲をテーマにしていますが、

その中でもわかりやすく自分軸の葛藤を描いた作品です。

 

ポップで軽やかな曲調にバリバリ攻めた歌詞だなあ 聴きやすいのに耳が痛い人も居そう それでこそ

ピノキオピーさん「ラヴィット」のYoutubeコメント欄から引用しました。

(今回はYoutubeからの引用多めでいきます)

 

Youtubeのコメントを読んでいるとですね、

まーそれぞれの憶測が飛び交うわけです。

 

恋を彷彿とさせる「ラビット」の題名の通り、

色恋盛んさに焦点を当てたコメントがたくさん。

 

それだけでも悪くないとは思いますが、

この曲をもーっと深く理解するために、

筆者が気づいた重要ポイントをお伝えしていこうと思います。

 

最大限にこの曲楽しもう!

では早速解釈にうつりましょう。

前提

「味のしない」キャロット

I love it 味の無い キャロット美味しく頬張り
I love it 価値のない 宝物を抱えながら
I love it 恥のスパイス 苦いシロップを舐め取り
I love it 自分のいない 月を見上げ幸せそうなラヴィット

ラヴィット→自分軸(自我、しあわせ)

月→他人軸(偶像、アイドル、シアワセ)

そう言えば「うさぎ」っていえば人参が好きなイメージが定着してるけど本当は牧草とかを好んで食べるって話を思い出したつまり「味のない」という歌詞は…

上記のコメントの通り、

キャロットはどうやら、自分軸で好きなわけではなさそうです。

他人軸により「好き」と認識された何かを美味しく食べているラヴィット

=洗脳されたラヴィット

こう仮定して読み進めていきましょう。

キーポイント①

「月を見上げ」幸せそうなラヴィット

もともとは宇宙に漂う神聖な「月」にいるはずだったラヴィット。

「自分のいない月」となっているので、おそらくわざわざ自ら降りたのでしょう。

「月」は尊い推しだったり、親だったり、恋人だったり、資本主義社会だったり。

「もうそこにいるのをやめますから。」

「私はいいので、あなたがたの幸せを優先させてください。」

そういって、「上空」からわざわざ降りて、「下界」で生活することを選んだラヴィット。

中身のないもの追いかけて着飾って、虚無感から鬱になっていく糞地雷系女子の心理を理解しているピノキオPさんって一体

もともとは精神的に成熟していたのに。

「上下左右に謀略いっぱい しんどいな」

byアルティメットセンパイ

な「下界(別名:沼、地球)」に自ら降り立ち、謀略によってどんどん自我を見失ってしまう。
最終的には「月(=ラヴィット(=自分)がいる=自我)」へ帰れなくなり、帰る気力も失い、ただただ月を見上げ「幸せ」と自分をだましだまし生きていくことになったようです。

もっと痛くしていいよ

なぜ自ら下界に降り立つラヴィットが後を絶たないのか?

うさぎが寂しがりやなのはおそらく多くの方の共通認識ですが

一人だと場合によっては孤独で死んでしまうことすらあるそうです。

だから、生きるために、自我を捨ててまでも多数に迎合する。

「もっと痛くしていいよ」「どうぞ めちゃくちゃにして欲しいの」

そんな自分に無意識に嫌悪感を抱いて、自傷に走っているようです。

キーポイント②

「月は一つ」しかない

月は一つしかないが、うさぎはこの世に何万匹も存在します。

本家pvでも、月は一つなのに対し、ラヴィットは「君はいくらでも代わりのいる量産系です」といわんばかりに何匹も出てくる。

月(=他人軸)にはもともと「ラヴィット(=自分軸)」が入っていた。

なので、月にいれば「私が好き勝手生きていける」世界線だった。

だったら、ずっとそこで生きていけばよかったのに、と思いますよね。

しかし、現実はそうはいかない。

好きなことで生きていける例は珍しく、好き勝手しようものなら必ず誰かの世界線に迷惑をかけることになります。

もしもこの世界の「ラヴィット」が全部「月」入ってしまえば、月が何個もあることになり、この世の物理と合わない。

「すきなことだけでいいです やっぱ それだけじゃ難しいです 全人類の願いが叶ったら 地球が爆発するから」

by『すきなことだけでいいです』

のとおり。

だから、別に洗脳に陥ったラヴィットのことを完全に悪い方向に揶揄しているわけではなく

むしろ「それでこそ正解」的なニュアンスも描かれているのだと考えます。

キーポイント③

「月」に「本物のラヴィット」はいない

妊娠がどうとかセフレがどうとかじゃなくて、この曲に込められたメッセージはもっとシンプルな気がするんだけどな。そういう考察も嫌いじゃないけど。

私たちは何かを認識すると、すぐ一つの物事集約させようとします。すぐにジャッジする。

「これが結論」「これが正解」

Youtubeのコメント欄は「自分の正解」「自分の推し考察」でごった返していました。

もちろん、このブログも一つの正解例を出しているのでそれらと同じです。

ただ、現実問題でもpvでも、

「月」に「本物のラヴィット」が「実際に存在している」わけではないですよね。

「ラヴィットっぽい何か」の模様が月にあるだけです。

本当は月にうさぎなんていなかった。

今までラヴィットの象徴であった「自分軸」なんてなかったのです。

「自分軸はある」「真実はある」の考えは、それこそ洗脳だったりするのです。

【想像】幻なる世界【創造】

それと同じで、この曲も、正解なんてないのです。

そして、完璧な自分軸や完璧な他人軸なんてものもないし、

人は自分以外の人のお腹から生まれてきた以上、多少の洗脳ありきで生きています。

「自分のいない月を見上げ幸せそうなラヴィット」って歌詞は、アイドルとか2次元のキャラとか、そういう「自分」が関与しない世界を眺めて幸せを感じてる人達を表してるのかなあ
「自分のいない月を見上げ幸せそう」みんなが好きなのは月にいる(自分とは違う世界にいるような理想のうさぎ、概念のようなもの?)うさぎであって本当の自分を好いてくれているわけではない。…(略)みたいな感じで愛されるために本当の自分を出せない人気者みたいな風に捉えられるなと思いました。
ということで、逆に言って仕舞えばすべてのことは正解なんです。
これらの解釈は真逆のことを言っているけど、どちらも正解になりえます。
同じように、どんな人生も正解なのです。

まとめ

ピノキオピーさんはこういう人たちを批判したいんじゃなくて、なんか愛しいと思ったんだろうなあ

このコメントを見た時、反射的に「きっとピノキオピーさんこのコメント好きだろうなあ」と反射的に思いました。

ピノキオピーさんは、「バランスの良さ」を非常に重視している気がする。

もちろん本当にそうかなど知りません。

ただ筆者が勝手に決めつけて、無意識に「ピノキオピーさんはこう思ってる」と捉えてしまった。

ピノキオピーさんが好きだから、きっとそう思ったのです。

 

でも、全く想像なしの、リアルオンリーで空虚ゼロの世界を作らない人間なんていないと思うんです。

私たちは一人で生まれてきたわけじゃない。

母のお腹から生まれ、動植物を食べて育ち、ネットを使って混じり合う。

誰の影響も受けない人間なんていない。多少の洗脳は動物である限りデフォルト。

よくある よくあるよって 自分を騙すトートロジー

そうやって生きているみんな、他人事じゃなく「ラヴィット」なのです。

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ここまで読んでくれてありがとうございます。

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