客観と主観のパラドックス【卵が先か鶏が先か】

こんにちは。

みなさんは、どうやって世界が誕生したと思いますか?

 

今回は「卵が先か鶏が先か」を通して、

物事の始まり、そして

「客観と主観のパラドックス」の世界へとお連れします。

言語のパラドックス

「卵とニワトリのパラドックス」

この世に先に存在したのは、卵か、はたまた鶏か?といった問題を

「卵と鶏のパラドックス」といいます。

 

鶏が先となると、じゃあどこから生まれたの?

卵が先となると、じゃあ誰が生んだの?

…と、無限ループが始まります。

 

さて、

この問題に対して、とある科学者は、こう結論づけました。

結論から言うと、【鶏が先、派】が勝利!

イギリスのニュースサイト『The SUN』によると、

科学者たちが「卵より鶏のほうが先に誕生した」と結論付けたのだそうです。

 

イギリスの研究チームは、OC-17と呼ばれるたんぱく質が

卵の殻の結晶化を促進させる働きがあることを突き止めました。

 

このたんぱく質は鶏の卵巣のなかにも存在し、これがなければ卵ができないことも判明したのだそうです。

そのため「鶏がいなければ卵ができない」ということに!

(参照元:https://www.yamada-egg.com/blog/%E9%B6%8F/%E9%B6%8F%E3%81%8C%E5%85%88%E3%81%8B%E3%80%81%E5%8D%B5%E3%81%8C%E5%85%88%E3%80%8D%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%8C%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%EF%BC%81%EF%BC%9F/)

 

つまり、卵を作るための物質が鶏にあるから、鶏がないと卵が作れない

→「鶏のほうが先」という答えですね。

 

しかし、この主張は反論を喰らいました。

それがこちら。

他の鳥類は卵の形成に別のたんぱく質を利用しており、OC−17の進化は卵の進化と同時に起こったのではない。

鳥類が爬虫類から分岐する以前より卵の形成に使われてきたたんぱく質は別にあり、

OC-17はそれを発展させる形で出現した。

つまり、OC-17がなくても卵はできる!

要するに、「卵を作る物質」自体は、別に鶏がいなくてもつくれる

→だから「卵が先」な可能性もある

ということだそうです。

 

この問題、最終的にどうなったかというと、

ついには「宗教ごと」に異なる答えが出たり、

さらには仏教徒による「時間は永遠だからどちらでもない」のような答えも出るようになっていきました。

 

もう、言いたい放題です。笑

 

というわけで、

この問題を解決するには少し骨が折れそうですが、

まずは

【そもそも、「卵」とはなに?】

【「鶏」とはなに?】

 

そこを定義することから始めてみましょう。

卵が先か鶏が先か、の前に、言葉の定義が先

「定義することからはじめてみましょう」とは言ったものの、

どう定義すればよいのでしょう。

 

「卵」の定義ですが、

例えば先程の科学者は、卵を「OC-17」だと定義しました。

 

しかし、定義するべきは「卵」でした。

「卵を作る物質」ではなかったはずでした。

 

そしてこの問は【卵が先か?鶏が先か?】なのであって、

卵の構成物質が先か?鶏の構成物質が先か?でもなかったはず。

 

そもそも、

「鶏」といっても、古代の鶏なの?現代の鶏なの…?

と、問はつきません。

 

「誰が定義してるの?」

「どう定義するの?」

定義の段階で、まず難しい…。

 

それもそのはず、

【卵が先か?鶏が先か?】の問の答えは、

定義次第なのです。

 

だから、極端な話、

「卵=先に存在する鶏が創り出したもの」

「鶏=卵を産むために生まれた生物」

という定義を付けてしまえば

その時点で定義的に「鶏が先」ということになります。

 

要するに「見るもの(観察者)が、見られるもの(現実世界)」

客観世界と主観世界

少し話がそれますが、

量子力学に、「二重スリット実験」というものがあります。

 

これはつまり、「観察したら形が変わる」ということについて証明している実験です。

 

もう少し抽象度を挙げると、

「客観世界が主観世界へ影響を与える」ということです。

 

客観世界が主観世界へ影響を与えるということは、

実は投影の法則や引き寄せの法則からも明らかにされています。

身近な例

客観世界が主観世界へ影響を与えることは、我々も通常行っています。

 

例えば、みなさんが物凄く辛くて苦しい状態にあるとします。

しかし、友人に

「どうしたの?つらいの?」

と尋ねられると、心配をかけたくない気持ちが強まり

「ううん。全然!平気だよ!」と答えた、という経験があると思います。

 

すると、友人からみた世界(客観世界)の結果が

「つらそう」から「大丈夫そう」に

つまり、主観世界が客観世界の結果を塗り替えることになるのです。

 

これは、私達の細胞でも行われています。

例えば、涙が止まらない時

細胞たちに「なにか苦しいことあったの?」と聞きますが

仕事は忙しいし、人間関係は大変だしでこれ以上混乱させたり心配させたくない時

細胞は私達に「平気なフリ」をします。

 

すると、私達は

「なんか涙が止まらないけど、別に大丈夫だしなあ…」と認識します。

(だから精神的な病を放置してしまう患者がたえないのです)

まとめ

いかがでしたでしょうか。

「見られると変化する」

 

それにしても、

なんとも神秘的ですよね。