HSPが生きづらいのは甘え?いいえ神からのギフトです。

こんにちは、文です。

 

最近「生きづらい」を訴える方、またそれに共感される方の存在が顕著になってきましたね。

これは何も、今の時代が生きづらい、ということではなく、

インターネットの匿名性を利用して、

みんなが本音を話しやすくなったおかげかと私は考えています。

そう思うと、ある意味とても良いことです。

 

さて。

生きづらいことを、甘えと表現する人もいると思います。

これは半分正解で、半分間違いです。

神様があえて生きづらさを付与した側面があり、甘えではないというのが半分。

そんな生きづらさを、甘んじて受け入れてしまっている(=甘え)というのが半分。

詳しくは後述します。

生きづらさとHSP

「生きづらい」の言葉とともに、「HSP」という言葉が非常に流行ってます。

「HSP」にも色々種類があり、

刺激を求めながら敏感な「HSS型HSP」や、

外向型である「HSE」などがあります。

以前であれば(今も?)「スターシード」という言葉も流行っていましたね。

 

これだけたくさんの言葉があるということは、

それだけたくさんの方が己の敏感さに苦しんでいるということだと思います。

 

では、どうして私たちは

わざわざこんな敏感で生きづらい生き物として生まれてきたのでしょうか?

生きやすさは何で決まるのか

生きやすく見える人

我々に反して、大雑把で鈍感な人は生きやすそうに見えます。

彼らと私たちでは何が異なるのでしょうか。

また、なぜ異なるのでしょうか。

 

少々突飛ですが、もしあなたが神様だとしましょう。

人類の生存と繁殖の役割を任されたらどうするでしょうか。

 

私なら、リスクを取って革新を進める層と

安牌を取って確実に生き残る層と

2層をバランスよく配置すると思います。

 

「生きづらい人」と対峙するところでいう「健常者」は

リスクを取って革新を進める層」だといえます。

 

仲間と一緒にいることで成長し、限界を超えていく。

それにはある程度の鈍感さが必要です。

 

ただし、鈍感さは危険を伴います。

色々なことに気づかず突き進む一方、その過程で命さえ落とす危険があるのも事実ですし、

その先に待つものが必ずしも成功とは限りません。

 

生存に失敗するリスクを取ってでも

革新の可能性を見出す。

それが彼らの役割だと考えます。

生きづらい私達

ここまできたら、もうお気づきですよね。

 

そう、私たちは、神様が安定して人類を守るために

安牌として配置されました。

 

その繊細さや敏感さ、感受性の豊かさによって

確実に、忠実に、危機的状況を回避します。

 

また、繰り返される慎重な思考は

時として大事な知識として歴史に刻まれます。

 

いくら人類が進化を遂げたって、

人類が滅亡してしまえば今までの努力が水の泡です。

そうならないため、安全にとても敏感なようにつくられたのですね。

 

だから、生きづらさは決して甘えではない。

神様の配慮、ギフトなのです。

 

ただ。

もしあなたがこのギフトによってとても苦しい思いをしているなら、

それを甘んじて受け入れてしまってはいけません。

せっかく頂いた繊細さを活かせば、

他人が努力してもできないことが楽に成せたりします。

 

生きづらい人と生まれてしまった以上、その気質自体は変えられません。

甘えて苦しい環境を受け入れるのではなく、

繊細さを活かして、己の心を敏感にキャッチし

生きやすい方向へ自ら舵をとる

 

そんな努力も時には必要なのかもしれません。

【変人の】個性の役割【存在意義】